西国街道を歩く(10)
- 2016/10/31
- 09:00
山崎からまで向日市まで。10月30日(日)快晴
JR山崎駅前、関戸明神の隣り、離宮八幡宮。

阪急電車京都線・大山崎駅の高架下を潜り、新幹線と並行して西国街道を京へ上りました。

新幹線と離れ、東海道線と接近する頃、左手に山崎聖天の鳥居が。

東海道線と、阪急電車を潜り、階段を上ると、一般道路と鳥居が。

さらに急な階段を何段も何段も登ると、やっと本殿に。
本殿に登り着く階段は南北二箇所にありますが、南側は階段中央に
手すりが設けられていて、登り下りが容易でした。

再び街道に戻り、大山崎役場前を通り、
名神高速道路、東海道線をを潜り北に向かいました。

大山崎町とはお別れです、町の下水道マンホールの蓋です。
道路上でマンホールをなかなか見つけることができませんでした。
これは下水道の発達度が低いせいか、あるいは人口が少ないせいかもしれません。

長岡京市に入り、やがて道路が多数交差する『調子八角』に出ました。
京都縦貫道の下、少なくとも六本の道が一点に集まって来ています。

交差点の東側、西国街道袂の道標と案内です。
ここは西国街道と丹波街道との分岐点だそうです。

しばらく進むと、街道幅が一挙に広がりました。長岡京市の中心部長岡京駅前交差点です。
左右が街道筋、正面奥が阪急電車長岡天神駅、後ろの方向がJR長岡京駅です。

交差点の南東隅に長岡京発掘の由縁が記されていました。

小畑川に架かる『一文橋』を渡ると、向日市です。
長岡京市のマンホールの蓋です。

一文橋の袂に、橋の名前の由来が案内されていました。
何でも、洪水でたびたび流される橋の修理費を、通行人から一文づつ徴収して、賄ったそう。
それでそんな名前が付いたという訳でした。

JR山崎駅前、関戸明神の隣り、離宮八幡宮。

阪急電車京都線・大山崎駅の高架下を潜り、新幹線と並行して西国街道を京へ上りました。

新幹線と離れ、東海道線と接近する頃、左手に山崎聖天の鳥居が。

東海道線と、阪急電車を潜り、階段を上ると、一般道路と鳥居が。

さらに急な階段を何段も何段も登ると、やっと本殿に。
本殿に登り着く階段は南北二箇所にありますが、南側は階段中央に
手すりが設けられていて、登り下りが容易でした。

再び街道に戻り、大山崎役場前を通り、
名神高速道路、東海道線をを潜り北に向かいました。

大山崎町とはお別れです、町の下水道マンホールの蓋です。
道路上でマンホールをなかなか見つけることができませんでした。
これは下水道の発達度が低いせいか、あるいは人口が少ないせいかもしれません。

長岡京市に入り、やがて道路が多数交差する『調子八角』に出ました。
京都縦貫道の下、少なくとも六本の道が一点に集まって来ています。

交差点の東側、西国街道袂の道標と案内です。
ここは西国街道と丹波街道との分岐点だそうです。

しばらく進むと、街道幅が一挙に広がりました。長岡京市の中心部長岡京駅前交差点です。
左右が街道筋、正面奥が阪急電車長岡天神駅、後ろの方向がJR長岡京駅です。

交差点の南東隅に長岡京発掘の由縁が記されていました。

小畑川に架かる『一文橋』を渡ると、向日市です。
長岡京市のマンホールの蓋です。

一文橋の袂に、橋の名前の由来が案内されていました。
何でも、洪水でたびたび流される橋の修理費を、通行人から一文づつ徴収して、賄ったそう。
それでそんな名前が付いたという訳でした。

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